追悼 森田一浩先生

日記
森田一浩先生の作編曲作品。演奏した曲や私が浄書を担当させてもらった作品です

森田一浩先生が逝去なさいました。謹んで哀悼の意を表します。

森田先生には、これまで大変にお世話になりました。
音楽的な学歴を持たない私が、今こうして仕事を続けられているのは、何人かの恩人のお陰なのですが、森田先生もそのうちの1人です。

私は、20代の頃までは管弦楽からのトランスクリプションが編曲作品の中心でした。その際に目標にしていたのが、ほかでもない森田先生のスコアでした。管弦楽譜の「写譜」のようなトランスも多かった時代でしたが、それとはまったく異なる発想の、吹奏楽に最適化されたスコアからは多くの学びがありました。《くじゃくは飛ぶ》のスコアは、原曲譜を詳細に見比べて研究したものです。

初めて仕事でご一緒したのは、拙編《サルタン皇帝の物語》の大阪市音楽団でレコーディングのときでのことでした。そのときにディレクターだったのが森田先生です。収録が無事に終わったあとに「とても良く書けてるよ!」と言っていただけたのは大きな自信になりました。その収録が上手くいったこともあって(どうやら、出版社の担当者の方に前向きな評価を伝えてくださったいたような雰囲気でした)、その先の様々な曲の出版に繋がっていきました。

私のトランスクリプションは、《ポーロヴェツ人(だったん人)の踊り》《ハンガリーの風景》《恋は魔術師》など、ほぼすべての作品のレコーディングで森田先生にディレクションしていただきました。普段は穏やかな語り口の森田先生が、収録時には時に厳しい表情を見せるのも大変印象的でした。

一方で、New Sounds in Brassでは、森田先生の楽譜の浄書・編集を担当することも何度かありました。編集者の立場では、楽譜に関する疑問点の照会をするのですが、そのやりとりを通じて、森田先生がどのような発想でスコアを書いているのかにも触れられた気がします。

実は、ここ10年あまりは、年に何回か、森田先生から電話が掛かってくることがありました。Finaleに関する質問です。決まって夜それなりに深い時間にです。「黒川君、今大丈夫?」「ちょっと悪いんだけどさ、教えてくれない?」という声は、容易に頭のなかで思い浮かべることができます。
その際には、本題の話に加えて、いつも少々の雑談も交わしていました。夏〜秋のタイミングですと、私が埼玉県大会で聴いた伊奈学園の新編曲に関する話をすることが多かったです。私が感想を言うと「あれさぁ、大変だったんだよ」と、ちょっとした裏話を話してくださることもありました(笑)。
ここ10年ほどは、私が提供した吹奏楽譜のテンプレートをずっと使ってくださっていました。ですので、《レ・ミゼラブル》などを含めた近年の森田先生のスコアの大元は黒川仕様のファイルでした。だから何だという話でもあるのですが、個人的にはちょっぴり誇らしくもありました。

もちろん、演奏者の立場でも、森田一浩先生のスコアは数多く採りあげてきました。
オリジナル作品の《花時計》、お手伝いしているバンドで繰り返し採りあげてきました。本当に美しい作品です。
ジブリの編曲作品もあちこちのバンドで合奏しました。特に《魔女の宅急便》は、5つくらいのバンドで演奏した気がします。《レミゼ》もやはり繰り返し演奏しました。
本来は、今年の春に《くじゃく》に取り組む予定だったのですが、緊急事態宣言の影響でそれが叶わなかったのが悔やまれます。

繰り返しになりますが、私が今のような活動をできているのは、様々な意味で森田先生のお陰です。心から感謝しています。
もう突然の電話やメールが来ることもなく、レコーディング現場でもお会いできないのは本当に寂しいのですが、森田先生から学んだことをしっかりと思い出しながら、これからも少しでも吹奏楽界に役立てるようがんばっていきたいと思います。
最近、あまり数を書けていないトランスクリプションにも、また積極的に取り組んでいきたいなとも感じています。


森田一浩先生、本当にありがとうございました。

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